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第030回 「真空地帯」山本薩夫
 信州・伊那谷。私のふるさとである。長野県南部に位置し、南アルプスと中央アルプスを仰ぎ見る緑ゆたかな農村地帯で保守的な風潮が強いところ。映画館にかかる映画は時代劇や恋愛モノといった気楽にたのしむ「大衆娯楽映画」が好まれていた。私はここで高校時代までを過ごした。その頃は、日本映画の全盛期。
 そんな中、私の心に強烈な衝撃を与えた一本の映画がある。山本薩夫監督作品『真空地帯』。日本の帝国主義軍隊の内実を暴露。非人間性を告発していた。俳優・木村功が演ずる「木谷一等兵」が軍隊という強い圧力に人間らしさをしぼり取られてゆく姿に、少年らしい怒りを覚えたものだ。同時に、映画のものすごい「力」を実感した。
あとになって整理してみると、やはり『真空地帯』の感動が私の映画入りのきっかけとなったようだ。
 昭和33年をさかいに、映画は斜陽化の一途。大学は出たけれど就職先はなし。ある日、私は独立プロの最後の砦と言われた「新世紀映画社」を訪ねた。そこに、日本映画のもう一つの主流・「独立映画運動」の巨匠監督たちが出入りしていたからだ。
 やがて、私は社会派の巨匠・山本薩夫監督に会うことができたのである。あの『真空地帯』の監督が目の前にあらわれた時だ。あのうれしさをいまだ忘れることができない。
 その半年後、私は念願の山本作品『証人の椅子』(1965年・山本プロ作品)につくことができた。以後、晩年の山本作品のほとんどの助監督を、20年にわたってつとめた。
 山本監督は『あゝ野麦峠』が最後の作品となった。享年73歳。来年は生誕100年にあたる。
 山本監督が最後に残した言葉がある。
 それは山本監督の「墓碑」の裏側に刻まれている。
 「映画は人間の思考を変革し、人間自身を変えうる偉大な力を持つものである。その意味から、私たち創造者は、常に創造者としての見識を高めなければならない。また映画の原点に立ち、自己の世界観を確立させて自己主張しなければならない」
 高校時代に出会った『真空地帯』は、私の映画人生の方途を決めてくれた「宝もの」となっている。
(映画監督 後藤 俊夫)





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