戦後、岡山県の田舎での中学・高校時代、通学途上の話題は映画の話が多かった。映画をみていないと仲間に入っていけない感じだった。
昭和27年に東京にでてきて、初めてみた邦画は渋谷実監督の「本日休診」。それからの学生時代は、週2回は映画(2本立)をみていた。料金は普通100円、ロードショウ150円。丁度、映画全盛期のさなかで、邦画、洋画とも次から次に面白い作品が封切られた。
その中で、「思い出の映画この一本」ということになればやはり、昭和30年秋に封切られた木下恵介監督の「野菊の如き君なりき」だ。原作は伊藤左千夫の「野菊の墓」である。
明治期、信州旧家の15歳の次男政男と、病弱な母の手伝いにきている従姉で2歳年上の民子は、互いを野菊、リンドウのようだと言い合う仲。しかし、古い因習と兄嫁の妬みから二人は裂かれ、初恋は実らず。実家に帰された民子は無理に結婚させられるが流産の末、嫁ぎ先から帰され病死する。
ただ一人日頃から民子に同情を寄せる民子の祖母が、電報で呼ばれて遠くの町の中学からかけつけた政男に、民子の死んだ時の様子を伝える。「民子はお前にあわす顔がないと、お前の名前は一度も口にしなかった。諦めたと思っていたら、胸に当てた民子の左手に握られていたのは、おまえからの手紙とリンドウの花だった」と告げる。このシーンは感動的である。
これを60年ぶりに郷里を訪れた老人(政男)が回想する形をとっている。
田中晋二、有田紀子の素朴な演技の初々しさ。回想形式に用いたスリガラスの縁をぼかした楕円形の画面のユニークさ、二人が遠くの畑に行く途中に写る信州の抒情的な風景の美しさ、二人を象徴するギター、マンドリンの哀切な旋律など、一編の映画詩というに相応しい。
私は、この映画をみたのがきっかけとなり、大学の映画研究会に入った。その頃「太陽の季節」が評判で、映研のメンバーと浅草日活の観客にアンケート調査したことを覚えている。以後、街の色々な映画サークルに入って、映画を多くの人と一緒に味わい語り合うことの楽しさを知った。 |