スイス・ニュー・シネマの巨匠アラン・タネール監督の代表作(1971年)です。主演はビュル・オジェ。工場労働者として退屈な日々を送る主人公の叔父が射殺体で発見されるが、ライフル銃の暴発による事故なのか、それとも主人公が射殺したのかが判然としません。この事件に関心をもった作家とジャーナリストが主人公に近づき、調査を進めますが、結局、謎は謎のままに終わる、といったストーリーでした。
私がこの作品に出会ったのは、1988年、大学1年生のとき、京都のイタリア文化会館での上映でのこと。確かレナート・ベルタ映画祭の1プログラムだったと記憶しています。ベルタは、タネールのほか、同じスイスのダニエル・シュミット監督との仕事などで国際的に知られたキャメラマンです(当時ちょうど祇園会館で、ベルタが撮影を担当した、ルイ・マルの「さよなら子供たち」(87)が上映されていたのですが、「さよなら…」では、ベルタの特徴である、超低速の移動撮影がとても印象に残っています)。
タネールはこの作品で、つねに最終的には頓挫を余儀なくされる「革命後の共同体」のあり方に仮想的な思考を巡らせていたように思います。ここに描かれた、飄々としてユーモラスな共同体の姿が大学生活を始めたばかりの孤独な心情にマッチしたのかもしれません。この映画のラスト・カットは、軽やかに都市(まち)を歩くビュル・オジェの可愛らしい笑顔のクロース・アップ(スロー・モーション)なのですが、私もこの映画を観た直後、(恥ずかしながら)京都の街をあてどなく彷徨い歩いたことを思い出します。哲学の勉強を志して大学に進学した私に映画の魅力を教えてくれた、今もって大切な作品です。
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