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第026回 「リンゴ園の少女」島耕二
 あれは昭和29年、私が中学3年夏休みの前日であった。先生が言った「夏休み中に町へ映画を見に行くことは禁止です。父兄同伴以外は認めません」。
 私の村には映画館がなかった。映画を見るにはリンゴ畑と田んぼだけの村からは、川向こうの町まで里の道を行くより仕方なかった。町には映劇と電気館という二つの上映館があった。私はどちらにも入ったことがなかった。私が映画を見た機会といえば、学校の巡回映画教室であり、夏の夜校庭でござを敷いて観た村の映画会(「小島の春」「鞍馬天狗」「箱根風雲禄」など)であった。
 夏休みを迎えた時、町の電気館では美空ひばりの「リンゴ園の少女」と「あの丘越えて」の2本立てが公開された。
畑仕事をしながら、よくひばりの歌を口ずさんでいたひばりの大ファンだった母は、映画を観たいという私に何も言わず切符代を出してくれた。その頃、私も勿論ひばりの大ファンであった。
「リンゴ園の少女」(松竹)監督:島耕二、共演:山村聡。祖父、公平と暮らす津軽の少女マルミ(ひばり)は歌が大好き。中学の教師はその才能を認めていたが、公平は喜ばない。「リンゴ祭」で会った「リンゴ追分」の作曲家、野村(山村)は実はマルミの父。野村はマルミの才能に驚き、歌うことをすすめるが、公平は大反対。
一度はあきらめるが、最後は公平のすすめ、励ましもあって歌の勉強を続ける。単純な、名作でもなんでもない映画ながら、真白なリンゴの花の木の下で歌うひばりの姿とあのメロディーが忘れられない。
 その後、名作、大作といわれるものも含めて多くの映画に接してきたが、この映画が私の思い出の映画の一本になっているのは、初めて映画館で見た映画であり、大好きな母の思い出とダブっているせいかもしれない。今でも母を思い出すとき、この映画が思い出され、この映画を思い出すとき、母のことを思い出す。
 夏休みを終えて登校した私は、一緒に行った友達と当然のように半日廊下に立たされ、皆からの冷たい視線を浴びる羽目になったのである。
それにしても、あの時告げ口をしたのが誰だったのか、未だに私は知らない。
(映文振センター理事 中沢由紀男)





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