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第022回 「姿三四郎」黒澤明
 数多く見た映画の中から感動したもの影響を受けたものを一本選び出すのは難しい。
 これだと決めつけることが出来る一本は自分が初めて見た映画になる。
それは「姿三四郎」である。もちろん黒澤明監督を小学三年生が知るわけがない。旧制高校生だった叔父に連れていってもらった。
 軍国少年として教育されていて子供の目にストイックな三四郎の柔道修行の映像が強烈に焼き付いたのは当然だ。
藤田進の三四郎が矢野師範に「死ね!」と叱咤されて古池に飛び込み一本の杭にすがって一夜をあかすシーンに心を痛めた。すりへった下駄(足駄だったか)が雨に濡れて流れていくのを見て「何年かたったんだね」と生意気にも叔父に言ったというので後でほめられたのを覚えている。
その後空襲が激しくなり祖父の家に疎開させられたので映画を見る機会は途絶えた。
戦争が終わってもS市の家が焼けてしまったのでそのまま土地の新制中学生になった。
 S市に出て工場をはじめた叔父が軌道に乗り越境入学の手続きをしてくれて高校生になる。大学はアルバイトに明け暮れてようやく卒業にこぎつけたものの就職難。入社試験は次々に失敗、気落ちして学内掲示板の前に立って目に入ったのが松竹の助監督募集。運良く拾って貰い京都撮影所勤務になる。
洛北の狭いアパート暮らし、銭湯と貸本屋が近くにあったのが救いだった。富田常雄の「姿三四郎」を見つけて懐かしくて読んだ。
 黒澤映画は三四郎の上京、矢野師範との対面そして入門、対戦相手村井の娘との出会い、檜の登場と原作の三分の一にも達していない。檜との右京ヶ原の対戦がハイライトでそれ以後小説に描かれた三四郎の人生は純粋だが読者にとっては説得力が乏しい。
読むうちに原作ものを軽視していた自分に気がつき恥ずかしくなった。脚色の大事なことが身にしみた。
「姿三四郎」を見たので映画の道へとなれば話は簡単だが「映画が好きで来てるんだろ」と不手際を先輩にどなられると気がきかない自分にうんざりする毎日だった。
(映画監督 五十嵐 敬司)





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