インターネット エクスプローラーダウンロード
推奨環境:IE5.5以上



 HOME > 思い出の映画この一本 > 連載記事


第016回 「また逢う日まで」今井正
 昭和25年、それは朝鮮戦争が始まった年である。この年に太平洋戦争末期に儚く散った二人の若者の恋と死を描いた名作「また逢う日まで」は制作された。原作はロマン・ロランの「ピエールとリュース」で、水木洋子が脚色し、今井正が監督したものである。
 当時私は、友人と中野に部屋を借り共同生活をしていた。若さと理想はあっても皆金が無い。銭湯の帰りに居酒屋に寄って、梅割り焼酎一杯と「もつ焼」5本を注文するのがやっとであった。唯一安い娯楽は映画を見ること、それも近所の三流映画館でだ。或る時、私鉄沿線駅のホームから見える映画のポスターに「沓掛時郎」の四文字を堂々と書いているのを見た時は大笑いした。これは、長谷川伸作の沓掛時次郎の間違いである。 友人とたまには新宿で映画を見ようと言うことになった。当時の新宿東口はバラックのマーケットがあり、やくざの親分が着流しでボディーガードの若者に囲まれて歩いている、今では考えられない街であった。
何を見るか相談して標記の作品にしたのである。戦時下の暗い東京の街で、空襲が縁で若い二人が恋に落ちる。久我美子と岡田英次の「窓硝子越しの接吻」が話題になった。戦争へ出掛ける男を見送りに行った女性は国鉄(現在のJR)の駅で空襲の犠牲になり、男は戦死する。最後に会う機会も無く、二人は離ればなれで死んでいったのである。
終わりに近いシーンで主人公のナレーションが映像に重なり、ピアノが聞こえ近所の主婦が何時もの様に買い物籠を提げて出掛けて行く。庭の隅には白いマーガレットが咲き乱れている。平和な日常が如何に大切なものかを感じさせてくれたシーンは今でも印象に残っている。戦後はアメリカ、ヨーロッパの名作が次々に上映され、私達も日本映画より外国映画を主に見ていた。然しこの作品を見る事によって、日本映画を見直す機会を与えてくれたものと思う。
 それから五年程経った頃、友人と二人で銀座の夜景を撮りに行き、晴海通りの歩道で三脚を立て、ひょっと向こう側を見ると、ビルの間から白い浴衣を着た岡田英次がタクシーを拾う姿が目に入った。私の貴重な青春の一頁であった。
(映文振センター会員 渡辺 貞夫)





組織概要   入会案内   個人情報保護指針   よくある質問   お問い合わせ

Copyright (C) 1981 - CurrentYear MCAC All rights reserved.
 
Powered by L-planning