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第015回 「我等の生涯の最良の年」ウィリアム・ワイラー
 戦時中、アメリカ映画は上映禁止になり見る事が出来なかった。戦後、進駐軍の占領と共に大量のアメリカ映画が公開され街を賑わした。その中でも本作は、とても質の高い上等な映画だった。アメリカ映画界大物製作者のゴールドウィンが彼の最も信頼するワイラーと組んで作った映画であり、この2人のコンビで作られた多くの作品の中でも群を抜く秀作だった。46年に完成し、日本では48年に公開された。私が旧制中学3年の時だ。3人の復員兵が同じ故郷に帰還し、再び昔の平和な市民生活を取り戻す様を淡々と描いた、ただそれだけの映画が何故かくも深い感動を人々に与えるのだろうか。それは、ワイラーの心に深くある人道主義と戦争批判がこの映画の底に流れているからではなかろうか。 復員兵の一人(アンドリュース)が帰郷すると妻は浮気していて男と家出してしまう。しかし彼は妻を許し彼女と別れて、共に復員してきた仲間の娘と2人で新しい人生を歩む決心をする。私が最も感動した場面だ。
戦争で両手を失い義手を付けている水兵(ラッセル)が近所の子ども達に彼等の目前で義手を外し、「これを見ろ」と大声で叫ぶシーンは更に衝撃的だ。言葉にこそ出してはいないが(戦争に行くとこんな醜い姿になってしまうんだぞ)と、子どもを通じて訴えているのだ。ラッセルは俳優ではなく、本物の負傷兵をワイラーが探してきて出演させた全くの素人で、それだけに見る者に衝撃を与える。このシーンは、最も私の頭に焼きついて離れない場面である。
 あの頃は黒澤明氏が師と仰いだジョン・フォードや松林宗恵氏が手本としたフランク・キャプラや本作のワイラー等、名匠の作品が目白押しだった。ゴールドウィンやセルズニックやザナックやクレイマー等カリスマ的製作者が質の高い多くの映画を我々に提供してくれた。誠に古き良き時代だった。その中でも本作は未だに私の心の中ではベストワンに輝く思い出の映画である。
(映文振センター会員 久保田邦彦)





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