インターネット エクスプローラーダウンロード
推奨環境:IE5.5以上



 HOME > 思い出の映画この一本 > 連載記事


第014回 「東京5人男」
 「あき坊、身体の調子が良かったら自転車の後ろに乗りなさい、東京がどんなになったかお前に見せてやる」と親父が言った。自転車が1台、乗って逃げたので焼けずに残っていた。私は20年の9月、大病後やっと身体が治ったばかりで、小学校5年生だった。
 自転車に吹き付ける秋風は大そう気持ちが良かったが、神田から下町へと行くにつれ、景色は一変していった。街はどこまでも見渡せる焼け野原で、あちこちにビルの残骸が点在しているだけの、完全に荒廃した風景が続いていた。そんな街中に、地中からステッキのように突き出した水道管から流れ出る水で洗濯している女性、大きな金庫の中を住居代わりにしている人、黒く焼けた廃材に、赤錆たブリキを張り、バラックを立てて住んでる人たちなどが目に入ってきた。 上野に近づくと、職を求めてか、ヤミの食べ物を探しに来たのか大勢の人たちが当ても無く歩いていた。その中に、仰向けに倒れたまま動かない男性が居た。親父は「あのまま死んでいくんだよ」と教えてくれたが、通行人はその男をチラッと見るだけで、無関心に通り過ぎて行く。
駅近くにも、もう一人倒れている人が居たが同じだった。
地下道は赤ん坊を抱えた女性や浮浪児たちでごった返している。親父は「この情景をしっかり見て、頭の中に仕舞い込んでおくんだ」と言った。学校も再会されたが生徒は半数以下で、弁当を持って来られない為に授業は午前中で終わった。そんな世の中に、明るい「リンゴの歌」が街中に流れ出した。人々の表情も少しづつ変化しはじめ、駅前には闇市が立ち並び、金さえあれば何でも手に入る時代へと変わって行った。そんな時代に見たのが「東京5人男」だった。住む家も、食べ物も無い、瓦礫だらけの東京の街を明るく生きて行くこの風刺喜劇映画を見て、戦中の暗黒時代から、平和になった大地に一歩を踏み出して歩き出した人々の心に、明日への明るい希望や夢を与えてくれたものだった。私もその一人だ。その後の日本国を繁栄に導いてくれた人々も、今はもう80歳以上だ。
(俳優 石濱朗)





組織概要   入会案内   個人情報保護指針   よくある質問   お問い合わせ

Copyright (C) 1981 - CurrentYear MCAC All rights reserved.
 
Powered by L-planning