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第010回 「望郷(ペペルモコ)」ジュリアン・デュヴィヴィエ
 終戦時小学6年生、翌46年から地方都市でも欧米映画が一斉に封切られ、中学生の私もその面白さに魅せられた。「カサブランカ」「ガス灯」「黄金狂時代」「風と共に去りぬ」「美女と野獣」「白雪姫」「情婦マノン」「パリ祭」「北ホテル」「赤い靴」「天井桟敷の人々」「大いなる幻影」「ハムレット」などに始まって、それ以後も続々。当時を思い出し、今に至るまで記憶に残る好きな映画は沢山あり、これ一本と決めるのは至難の技である。しかしどうしてもと言うならば『望郷・ペペルモコ』。
その頃私は一浪して京都の予備校に通っていた。京大合格率90数%と言う謳い文句の予備校で、授業もここからが大事と言う時期だったが、その時、幸か不幸か?、巡り会ったのが『望郷・ペペルモコ』だった。千本銀映と言ったと思うが、京都千本の場末の小さな映画館にベラ・エレンの「銀の靴」と2本立てで、この映画がかかっていた。その上映期間中朝から夕方迄繰り返し観に行った。
朝母から弁当を作ってもらい予備校に行くふりをして家を出て映画館に直行。『望郷』「銀の靴」を観て、夕方予備校から帰った顔で帰宅する毎日。ギャバンの魅力、エキゾチックなカスバの情景、メトロの切符に見る人生の綾。何度観ても飽きない面白さ。それ以来映画にすっかり嵌まり込んで受験勉強は全くお留守になり、そのお陰と言うのはそれだけでない勝手な言い訳だが、翌年春また見事に落第。二浪することになり、親父も諦めてくれて方向変更、美術学校に進み、映画、テレビの美術の世界に入ることになったのだから、私の人生の歩みに影響した一本だったことは間違いない。あの心に染みる汽笛の音。鉄柵にしがみつくギャバンの顔・ギャビーと言う叫び。『望郷』は私にとって懐かしい人生極め付けの一本である。(武蔵野美術大学理事長)
(映文振センター副理事長 小池晴二)





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