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第019回 「シネモンド」支配人 上野克さん
「街に唯一残った映画館」
 日本海沿岸を代表する都市、金沢。江戸時代、百万石の石高を誇った前田家の城下町として栄えたこの街は、第二次大戦の空襲も免れ、今も残る古くからの町並みが訪れる人々の心を和ませてくれます。現在でもこの地方の中核都市として、北陸地方の経済・文化の中心となっています。金沢を代表する繁華街は、兼六園近くに位置する香林坊と片町。この地域はかつて映画館街でもあったとのこと。「最盛期は香林坊に9スクリーン、片町に2スクリーンありました。しかし今は一館だけ」そう語ってくれたのは、唯一残った映画館、シネモンド支配人の上野克さん。他の地方都市と同じように金沢もモータリゼーションが進み、ショッピングも、そして映画鑑賞も郊外化が進んでいるとのこと。そんな中、街の中で名画を灯し続けるシネモンド。今回は支配人の上野さんにお話をうかがいました。
「きっかけは、一本のホラー映画」
 静岡県浜松市出身の上野さんが、金沢に移り住んだのは1994年の春。金沢大学工学部に入学したのがきっかけでした。「大学に行かないで映画ばかり観ていました」当時をそう振り返る上野さん。きっかけは友人と一緒に観た一本のビデオでした。作品は「悪魔のいけにえ」(1974年 米 トビー・フーパー監督)。「あらためて、すごい映画だなぁ」そう実感した上野さんは、ホラー映画を中心に映画漬けの日々に。「ホラー映画は目的がはっきりしているため、ある意味わかりやすく、それを見続けることによって映画の文法を学びました」とのこと。 最も、その当時は映画を職業にしようという思いはまだなく、映画とともにジャズを愛好していた上野さんは、アマチュアジャズバンドでギターをひいていました。上野さんが映画業界に入るきっかけとなったのは96年、金沢で催された「‘96・イラン映画祭」でした。夫の転勤で金沢に引っ越してきた元ユーロスペース社員、土肥悦子さんを中心に活動を始めた自主上映会が主催でした。偶然にも同じジャズバンドでボーカルをしていた女性から誘われて上野さんも、映写係としてこの活動に参加しました。当時、北陸地区には単館系の映画館は無く、「キア ロスタミ監督特集」「萌の朱雀」などの上映を通して、実績を積み重ねました。そして1998年12月19日に現在の地、香林坊の109にシネモンドが開館。時同じく大学卒業を控えた上野さんは、映写係としてシネモンドで働くことになります。
「街の中の映画館として」
 開館から9周年を迎えたシネモンド。郊外型のシネマコンプレックスの影響を受け、街の中から映画館が消えて行く中、シネモンドはさまざまな試みを続けます。金沢コミュニティシネマ推進委員会の立ち上げや、「金沢コミュニティ映画祭」、「こども映画教室」の実施。地域の商店街や行政と協力して2004年にオープンした金沢21世紀美術館とのコラボレーションも行い、地域文化貢献としての活動も続けているのとのこと。現在、劇場代表の土肥さんは東京に戻り、東京から番組編成を行い、金沢では上野さんを含めて8名のスタッフが劇場運営を担当。「年間150本の映画を、1スクリーンで上映していますが、営業的には厳しいのも現状です。将来はNPO(非営利団体)化も視野に入れて」活動を続けているとのこと。「いろんな映画を上映し、観る人が自分の好きな映画を見つけてくれれば」そう語る上野さん。郊外型の大型店舗の影響で、各地で個性的な店が消えていく昨今、古くから文化の都としても栄えたこの街で名画の火を灯し続けてほしい、その思いを強くしました。
(取材:木村昌資)
【シネモンド:http://www.cine-monde.com/





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