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第012回 「川崎市市民ミュージアム」学芸員 川村健一郎さん
今 名画座は?
 ここ数年、日本各地にシネマ・コンプレックス(複合型映画館)がオープンし、人々が映画に触れる機会は以前よりも増えてきているようです。実際、長年の間、低迷し続けていた映画館観客動員数も回復の兆しを見せ、平成16年(2004年)には1億7000万人代にまで回復しました。しかし、その一方で、繁華街の老舗映画館や、名画座が姿を消しつつあります。現実問題として、シネマ・コンプレックスで上映されないアート系の作品や、ロードショーを終えた名作は、劇場のスクリーンで観ることが困難になってきています。そのような中、定期的に、名画上映活動を続けている公共施設があります。それは川崎市市民ミュージアム。今回はミュージアムの学芸員(映画担当)川村健一郎さんにお話をうかがいました。
産業都市、川崎。その文化の象徴、映画
 川崎市市民ミュージアムが開館したのは昭和63年(1988年)11月。「都市と人間」を基本テーマにかかげたこの施設の目玉の一つは映像分野の活動でした。館内には、劇場用35ミリ映写機を備えた映像ホールも設けられています。開館当時、日本国内には映像公開を主要な活動とする公立美術館はほとんどなかったそうです。
「なぜ、映像なのか?」 その背景について川村さんは、「川崎という街は、産業都市としてのイメージが強い。文化を産業として発展させたものの代表が映画産業。その映画に注目しました」と説明してくれました。オープニング時に上映された作品は、「愛と希望の街」(大島渚監督作品 昭和34年)、「喜劇駅前団地」(久松静児監督作品 昭和36年)、「この広い空のどこかに」(小林正樹監督作品 昭和29年)など川崎市を舞台にした名作の数々でした。これらの作品は、高度経済成長を支えた川崎の街と、人々の生きざまを今に伝えてくれている“記録映像”でありました。以後、戦後の日本映画界において、低予算でありながら、映像製作の可能性を極限まで追及し、その質の向上に貢献した独立プロ(近代映画協会、ATG等々)の作品を中心に収集し、その特集上映を続けてきました。作品選定にあたるのはミュージアムの映画担当学芸員。
初代学芸員は、「なみおか映画祭」運営に携わり、現在、青森県立近代美術館の開館準備に従事している立木祥一郎さんでした。川村さんが、立木さんの後任者として、川崎市市民ミュージアムに赴任したのは平成7年(1995年)のことでした。「当時、京都の大学院でドイツ哲学を研究していました。映画にはもともと関心はあったのですが、偶然大学の掲示板にミュージアムの求人があって」。この年は、映画生誕百年の年でもありました。
文化としての映画を市民へ
 市民ミュージアムが、特集を組むにあたって心がけていることは、可能な限りさまざまなジャンルの作品を提供する、ということ。ミュージアムで収集している独立プロの作品をはじめとして、松竹・東映・東宝・日活など大手映画会社の名作上映も企画してきました。最近では、劇映画シリーズの「サザエさん」(配給東宝 主演:江利チエミ シリーズ脚本担当 笠原良三)が好評だったそうです。
「年配の方を中心に、固定客も増えてきました」 集客の状況について川村さんはそう話してくれました。「今後は、不定期であった上映日を、毎週土日及び祝日上映の定期開催にし、市民が気軽に立ち寄れる”街の名画座”になれば」 と。また、川崎市には、映画製作者も多く在住しており、製作にあたって実際に使用された台本や、セットデザインなどが、数多くミュージアムに寄贈されています。このような映画史的に貴重な品々の一般展示も検討していくそうです。
産業としての映画興行界は現在、シネマ・コンプレックス全盛期。そのような中、文化としての映画上映活動の一翼を、今後担っていくのが、ミュージアムをはじめとする公共ホール、そしてそれを市民と共に運営していくのがスタッフの役割なのかもしれない、川村さんへの取材を終えた後、その思いを強くしました。
(取材:木村昌資)
【川崎市市民ミュージアム:http://www.kawasaki-museum.jp/





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