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2019年1月24日

第139回 「トットチャンネル」

おはなし:映画監督  大森 一樹  さん  
インタビュアー:俳優  弓家 保則  さん

 今年初めて上映となる1月24日(木)、国立映画アーカイブ(京橋)で「監名会 第139回」が開催された。黒柳徹子の自伝エッセイを映画化した『トットチャンネル』(1987年)。監督•脚本の大森一樹監督と主演の斉藤由貴がタッグを組んだ三部作のニ作目にあたる(一作目は『恋する女たち』(1986年)、3作目は『「さよなら」の女たち』(1987年)。
主人公は日本で初めてのテレビ放送を開始したNHKの専属俳優となった少女・徹子(斉藤由貴)。失敗を繰り返しつつも同期の仲間たち(嶋政宏他)と切磋琢磨し、先輩女優(久野綾希子)にしごかれ、教官(植木等)に見守られながら、成長していく姿がコミカルに描かれる。ナレーションは原作の黒柳徹子。
上映後は、大森一樹監督(監名会28回にもご参加)をゲストに迎え、俳優の弓家保則さん( 第65回、第71回、第76回、第111回、第112回、第131回、137回にゲスト及びインタビュアーとしてご参加)がお話を伺った。司会進行は俳優の竹内千笑さん。

 大森監督自身、本作は2年ぶりの鑑賞。感想を弓家さんに問われ、「思わず涙ぐんだ」と夜の公園に徹子が1人で消えて行くラストシーンをあげた。さらに、当時は生放送だったために、倒れかけたセットを背負って本番を切り抜けた徹子に植木等さん演じる教官が「あなたが背負って立っていたのは『テレビ』ですよ」と労いの言葉をかけるシーンを加えた。3部作を1年で撮るというハイペースながらもすべてヒット。「我ながら才能あったのかなと思った」と微笑まれた。この2年後、大森監督はゴジラの続編(1989年)も大ヒットさせている。
原作のエピソードを巧みに組み合わせてドラマへと昇華させる手腕に定評のある大森監督。黒柳さんも脚本の出来映えにご満悦だったようだ。「当時は映画に『力』があった時代。自分の書籍が映画化されるだけでもたいへんな時代だった」。
大森監督は映画製作会社の「撮影所」を体験した最後の世代。かつての「撮影所」は一本の作品をじっくりと撮影した。「昔は映画はフィルムカメラ、テレビはビデオカメラで撮るという認識だった。でも、今は映画もテレビもデジタルカメラで撮る。それをパソコンで編集して、そのまま映画館で上映。瞬く間に仕上がる。昔は映画とは、まず8mmで撮り、次に16mm。その後に35mmで撮らせてもらって、そこで初めて作品が映画館で上映されるという段階を踏んだ。でも、今はその積み重ねがない。昔の映画と今の映画とは、全く違う」。現在、大学の映画の授業で教鞭を取る大森監督は映画の今昔を知る生き証人でもある。
撮影所ならではの作り込みも随所に光る本作。弓家さんが「ロケも多いし、セットが凝ってますよね」と指摘すると、大森監督は「相模鉄道までわざわざ撮りにいったんだ」と振り返り、直後の風が吹き上がる通気口の上で三人の少女達がスカートをはためかせるシーンはセットだと明かす。「ロケとセットのシーンをうまく繋いでくれて、当時の技術力は本当に高かった」と、撮影や照明や美術にいたるベテランスタッフ陣を賞賛。重ねて「オープンカーや鉄道など作中では『乗り物』が多いですよね?」と問う弓家さんに、「『活動写真』は『乗り物』」が大事なんだよ!」と自らのこだわりを語る大森監督だった。

 大森監督の今後については、出世作『ヒポクラテスたち』(1980年)の50年後を描く続編や時代劇の企画などが予定されている。
「30年前の映画が上映され、会員の方がこうして見に来て下さる。自分の映画が生き残っている。映画を作ってきてよかったなと思います」と大森監督は感慨深げだった。さらに「僕らが学生の頃は、巨匠の鈴木清順さんなどを回顧上映会にお呼びすると『何で今更こんな古い映画をやるんですか』と嫌そうな顔をされたものですが、僕自身はむしろ見ていただいてとても嬉しいですね。また呼んでください」と会場を沸かせ、閉幕となった。

(文:菅原英理子 写真:岡村武則)





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