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2003年11月22日
第080回 「二十四の瞳」
作曲家:木下忠司さん、評論家:川本三郎さん
 これほど暖かい11月上旬は、観測史上でも稀れとのことで、のどかな秋日和の一日でした。今日のゲストは名匠・木下恵介監督の実弟で、お兄さんの作品 は勿論、他の数多くの監督について美しい映画音楽を手がけてこられた作曲家の木下忠司さん。川本三郎さんのインタビューでお話をうかがいました。

川本:小学校時代に初めて見て以来、何回観ても涙が溢れる名作です。特に小学唱歌とか童謡をフンダンに使っているのも情緒が濃く効果的ですね。
木下:脚本が出来た時点で、兄からこの作品の音楽は小学唱歌とか昔から歌いつがれてきたホームソングを取り入れようとの話がありました。ふだんの兄は音楽に関しては細かい指示をしないのででは各シーンごとに曲を相談し合いながら進行していきました。壷井栄さんの原作では、白秋・耕筰コンビの「山のカラスが持って来た」とある曲を「七つの子」に変えたりして、曲選びは中々に難しかったものです。
木下:川本松江という可哀いそうな少女が独りで涙するシーンでの「七つの子」の使い方など、とても効果的でした。
木下:後日、海外版を作るに当たっては「アニーローリー」とかの欧州民謡を日本の曲に置き換えました。元来、兄はクラッシクファンではなく、小学唱歌とかイタリア民謡、それにマーチがとても好きでした。私が一番困ったのは「永遠の人」という作品で、シャンソンかフラメンコをベースに選べと言われ、迷った挙句にフラメンコにしたという経緯などもあります。
川本:それにしても、子役の演技や合唱は素晴らしかった。
木下:あれはロケ先で年頃に合せて採用した子たちです。中には兄弟(姉妹)もおりました。それと子供の合唱というのは何時聞いても素朴で美しいものと感じております。昭和初期の子供は殆どが小学校を終えて家業に励み、上の学校に行かない。だからこそ小学校時代の先生や級友を大切にする。その情感を漂わせるのに苦心しました。
川本:木下さんが作曲に使われる楽器のジャンルはいろいろありますね。
木下:私の第一作「わが恋せし乙女」の主題歌はハーモニカでしたし、「カルメン故郷に帰る」ではオルガンが主体でした。当時はピアノなど弾ける人は極めて少ない。「破れ太鼓」では兄からの指示で臨時に出演したのですが、これもピアノを弾くという役柄でしたから。今日の作品の中で笠智衆演じるオトコ先生がオルガンを弾いて「ヒフミヨ」と唱歌を指導するシーンがありますが、当時はまだ「ドレミファ」が浸透していなかった時代なのですね。
川本:とろこで映画に音楽をつける時はどんな風にして行なわれるのですか。
木下:今は撮影が80%位進んだ頃からイメージを膨らませて入れる。昔は現場で撮影画面を見ながら、その都度作曲をしていったものです。

 対談の冒頭に木下さんは「プログラムの写真は50年位前のものですから信用しないで下さい」と会場を笑わせます。でも、長身で颯爽と歩かれる木下さんは、とても87歳とは思えません。どうか益々お元気でお過ごしください。
(坂田 純治)





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